長崎地方裁判所 昭和33年(行)6号 判決 1960年9月12日
原告 高島元一
被告 長崎県知事
訴訟代理人 大浦文夫 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、「被告長崎県知事が、昭和三二年一一月二八日原告に対し長崎(戻)第二一一号をもつてなした別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)の買収処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、
「一、原告は、昭和二五年二月一日国から自作農創設特別措置法(以下自創法という。)第四一条の規定により本件土地の売り渡しを受け、その開墾に従事してきたものであるが、被告は、昭和三二年一一月二八日原告に対し、長崎(戻)第二一一号をもつて、本件土地を農地法第七二条により買収する旨の買収令書を交付して、その買収処分をした。そこで、原告は、昭和三三年一月一〇日、被告の右買収処分を不服として、被告あてに「陳情書」と題する書面で異議申立をしたが、被告は同年四月二日原告に対し右異議を認めない旨の回答をし、これは同年同月一一日原告に到達した。
二、しかしながら、被告の右買収処分は、次の理由により違法である。
(一) 原告は、本件土地の売り渡しを受ける前である昭和二一年頃から、単身本件土地に入植しその開墾に従事し、以来一〇年間辛苦を重ね、昭和三〇年二月一一日実施された被告の検査当時には、本件土地の約八割を開墾して農地(畑)に仕上げ未開墾部分については、被告から昭和三一年三月三一日までに開墾して、本件土地の開墾を完了するようにとの指示を受けた。
ところが、原告は、昭和三〇年一〇月罹病し、同年一二月二八日療養のため本件土地を離れて神戸市に転出した。そこで、原告は、昭和二八年以来原告の家族として同居し、本件土地の開墾に協力してきた訴外郡山薫に留守を託し、原告の右開墾につき同訴外人を原告の代行者として本件土地の開墾および開墾後の耕作に従事させることとし、本件土地の所在地を管轄する南有馬町農業委員会に対し、昭和三一年一二月一八日付、昭和三二年三月一八日付、同年一一月一九日付の各書信により、前後三回にわたり、とくに後の二回の書信には、原告の病状を証明する診断書を同封して、原告の前記転出の事実と健康回復次第現地に戻り、本件土地で営農する意思のあることを届け出、同農業委員会から、原告が病気療養のため本件土地に不在の間、本件土地の開墾につき、訴外郡山薫を原告の代行者とすることの承認を受けた。このほか、本件土地を含む上原地区の開拓地における入植者をもつて組織されている上原開拓農業協同組合においても、同訴外人が原告の代行者であることを認めていた。
このようなわけで、同訴外人は原告の代行者として本件土地の未開墾部分を開墾するかたわら、その開墾完了部分を耕作し、被告が昭和三二年六月四日本件土地の再検査を実施した当時には、本件土地全部の開墾を完了した。
以上のとおり要するに、原告が昭和三〇年一二月から本件土地を離れ、その開墾および開墾後の耕作に従事しえなかつたのは、病気療養のためであつた。おもうに農地法第三条によると、農地または採草放牧地の所有者は、疾病による療養のためその土地をみずから利用することができないとき、農業委員会の許可を受けて、これを一時他に貸与することが許されているのであるから、この規定の趣旨に照らし、前記のとおりり、原告が自己の病気療養の間農業委員会の承認を得たうえ、本件土地を原告と前記の関係にある訴外郡山薫に開墾、耕作させることは是認さるべきものである。
しかるに、被告が、原告側の右の事情を無視して、すでに開墾が完了している本件土地を買収した本件買収処分は、違法である。
(二) かりに、右主張が認められないとしても、被告の原告に対する本件買収処分は、被告の不公平な裁量に基く行政処分として違法である。
すなわち、被告は昭和三二年六月四日実施した本件土地の再検査の結果、原告が疾病のため本件土地に不在である事実を認め、原告が本件土地の耕作を放棄したものと速断して、本件買収処分をした。ところが、本件土地の所在地である南有馬町吉川名の上原地区には、原告のほか一一名の入植者があり、いずれも原告の本件土地とほぼ同規模の未墾地の売り渡しを受けてその開墾に従事してきたが、成功検査に合格できず、原告とともに前記再検査を受けたところ、右入植者のうち訴外中戸悦雄、同白倉勝則の両名はいずれも現地に不在で、不在の理由は不明であるうえに、開拓地のうち二、三反を他に転貸している事実が判明した。当時、訴外中戸悦雄は神戸の日豊運輸株式会社に運転手として、訴外白倉勝則は神戸の東大汽船所属の第二高砂丸に船員として、それぞれ就職していたものであるが、いずれも右再検査の実施後、その筋からの勧告と忠告を受けて同年秋頃上原地区に帰り、南有馬町農業委員会を通じて被告に陳情した結果、被告は同訴外人らに対しては、その開拓地につき買収処分をとらなかつた。なるほど、同訴外人らは、右出稼ぎ期間中も上原地区に家族を居住させていたから、その点、当初から本件土地に家族を居住させていない原告の事情との差異はあるけれども、同訴外人らが地元農業委員会には無断で出稼ぎに出ていたうえに、売り渡しを受けた土地の一部を他に転貸していたのに反し、原告は右農業委員会に対し、自己が病気療養のため一時本件土地を離れることを明らかにし、健康が回復次第、本件土地に戻る意思のあることを伝えるとともに、自己の代行者に訴外郡山薫を置いて、本件土地の開墾に支障ないよう十分の取り計らいをしていたものである。したがつて、原告だけが本件土地の買収を受けなければならない理由はない。被告の本件買収処分は、原告だけを不利益に扱つた不公平なものであるから、違法である。
三、よつて、本件買収処分の取り消しを求めるため、本訴に及んだ。」と述べ、被告の主張に対し、
「原告が本件土地の耕作を放棄したことは全然ない。すなわち、原告は一時訴外神戸運送株式会社の外交員として働いたことは認めるが、これは自己の生活費と前記病気の治療費とを得るために、病体の許す限度でしたことである。訴外郡山薫が本件土地を管理していたことは認めるが、右は前記のとおり、原告の留守中、その代行者として行なつたものである。原告の家族が本件土地に居住したことのないことは認めるが、原告は、本件土地の売り渡しを受けたときから、終始単独で、本件土地の開墾に従事してきたものである。したがつて、原告の妻子が一時でも本件土地に来住したことがないのは当然である。また、原告は南有馬町農業委員会会長から、被告が本件土地の買い戻しの措置をとることについての通知を受けていない。しかしながら、原告は、昭和三二年六月一九日、被告のもとで本件土地の検査の事務を担当している長崎県職員訴外城田幸三郎に対し、前記のとおり、原告が病気療養のため本件土地を一時離れること、留守中代行者として訴外郡山薫をおいたこと、健康の回復あり次第本件土地に戻り、営農する考えであること等を書信で報告するとともに、原告がとるべき必要な措置についての指示を求めていた。したがつて、被告は、原告が本件土地の耕作を放棄したものでないことを十分知つていたはずである。」
と述べた。
(立証省略)
被告指定代理人らは、「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の抗弁として、「原告は、被告がした本件土地の買収処分に対し、農地法第八五条の規定による訴願を経ていないから、右買収処分の取り消しを求める本訴は、不適法である。」と述べ、本案につき、主文と同旨の判決を求め、答弁として、
「一、原告の主張事実一、のうち、原告が昭和二五年二月一日、国から自創法第四一条の規定により、本件土地の売り渡しを受けたこと、被告が昭和三二年一一月二八日原告に対し、長崎(戻)第二一一号をもつて、本件土地を農地法第七二条により買収する旨の行政処分をしたこと、原告が昭和三三年一月一〇日被告あてに「陳情書」と題する書面を提出し、これに対し被告が同年四月二日回答したことはいずれも認める。同二、(一)のうち、被告が昭和三〇年二月一一日本件土地の検査をしたところ、開墾が完了していなかつたので被告は原告に対し原告主張どおりの指示をしたこと、原告が同年一二月二八日から本件土地を離れ、神戸市に転出したこと、被告が昭和三二年六月四日本件土地の再検査を実施したことおよび同二、(二)の事実中、被告の本件買収処分を不公平と主張する部分を除く全部の事実はいずれも認める。その余の事実は全部争う。
二、本件買収処分は、以下に述べるとおり適法である。
被告は、原告の売り渡しを受けた本件土地につき、右売り渡しの時期である昭和二五年二月一日から起算して五年を経過した後である昭和三〇年二月一一日、農地法第七一条の規定によるいわゆる成功検査を行つた。右検査の結果、原告は本件土地の開墾を完了していないことが明らかとなつたけれども、被告は同法第七二条の規定により、本件土地を直ちに買い戻すことについては、しばらく見合わせ、原告に対し、本件土地の未開墾部分を昭和三一年三月三一日までに開墾するよう指示した。しかるに、原告は昭和三〇年一二月から病気と称して神戸市へ転出したので、被告は昭和三二年四月一日付で南有馬町農業委員会会長にあて、原告の離植の有無について照会し、右農業委員会会長から、原告が神戸市東灘区本山町岡本一六六番地岡本教会前「くるみ屋」方に居住しており、本件土地には原告本人およびその家族の営農の事実がないこと、原告の右転出の理由については、原告から同農業委員会に診断書同封の手紙で、病気のため、と述べてきているけれども、これが離植の原因であるかどうかは不明であること、以上の内容の回答を受けた。そこで、被告は昭和三二年六月四日本件土地の再検査を実施したが、その結果、(一)原告は芦屋市三条町一八七番地睦月方に居住し、神戸運送株式会社の外交員として働いていること、(二)本件土地は、南高来郡口ノ津町大屋宮の脇訴外郡山薫が管理していること、(三)本件土地には、原告の家族は居住していないこと、以上の事実関係が判明した。
さらに、同年七月一五日南有馬町農業委員会会長から、「病名痔瘻兼左上膊神経痛」と記載してある同年三月一八日付の原告に対する診断書の送付を受けた。
よつて、被告は、同年一〇月二二日付で南有馬町農業委員会会長にあて、「本人(原告)は、昭和三〇年一二月以来現地に居住せず、その間一時妻子の来住があつたのみで、一年以上土地の利用を継続しなかつたばかりでなく、売り渡した土地の期限である昭和三三年一月末日までに健康を回復し、十分なる土地の利用をする見込みがなく、入植者としての適格性を欠くものと認められるので、買い戻しの措置をとるので、この旨本人に通知ありたい。」との依頼をしたが、原告からは何らの連絡もなかつた。そこで、被告は、原告が本件土地の耕作を放棄したものと認め、農地法第七二条の規定により、本件土地の買収処分をした次第である。」
と述べた。
(立証省略)
理由
一、被告の本案前の抗争について判断する。
原告が、昭和二五年二月一日国から自創法第四一条に基き本件土地の売り渡しを受けたが、昭和三二年一一月二八日被告から長崎(戻)第二一一号をもつて、農地法第七二条による本件土地の買収処分を受けたこと、原告が、昭和三三年一月一〇日被告あてに右買収処分につき「陳情書」と題する書面を提出したこと、以上の各事実については当事者間に争いがない。つぎに、成立に争いのない乙第八号証によると、右「陳情書」には、原告が本訴において右買収処分の違法事由として主張している事実とほぼ同様の事実が掲記され、本件買収処分につき公正な再検討のなされることを要求する旨の記載と、末尾に住所を肩書した原告の署名捺印のあることが認められる。
ところで、右「陳情書」を、農地法第八五条の規定による農林大臣に対してなされた訴願の訴願書であると認めるについては、これが、被告に対する陳情の形式をとつている点と、訴願法が訴願書につき定めている形式のうち、訴願人の身分、職業、年令の記載を欠いている点からみて、多少の疑問がないわけではない。しかしながら、右の点を除外すると、原告の右「陳情書」およびその提出は、すべて訴願書および訴願提起の要件をみたしているうえに、「陳情書」の名宛人である被告は本件買収処分の処分行政庁として、訴願の経由庁たる地位にあるものであるから、前記の点から直ちに原告に訴願の意思がなく、したがつて右「陳情書」の提出がその表示のとおり被告に対する陳情にすぎないものと認むべきではなく、かえつて、前記のとおり、これに本件買収処分の瑕疵を争う原告の意思が具体的に表明されている以上、他に特段の事情が認められないかぎり、右「陳情書」の提出は、被告の右買収処分を争う法的手段として、したがつて、本件においては農林大臣に対する訴願の提起としてなされたものと認定するのが相当である。
この点につき、証人綿戸喬志(第二回)は、原告が本件買収処分のなされた後、右「陳情書」の提出前に、南有馬町役場で同町農業委員会の事務を担当している同証人から、右買収処分に対する不服申立の方法として、訴願の途のあることを教えられたのに対し、訴願する考えはない、と答えた旨を証言している。しかしながら、原告の右町役場吏員に対するこの言葉の真偽ないし真意のほどは明らかでないし、かりに原告が当時訴願することを考えていなかつたとしても、その後長崎県知事あて右「陳情書」を提出し、行政庁の救済を求めている本件においては、前判示のとおり、原告の被告を名宛人とする右「陳情書」の提出をもつて、原告が被告を経由して農林大臣に対する訴願を提起したものと認定するのが相当である。
つぎに、本訴の提起が、原告の右訴願につき裁決を経ることなく訴願の提起のあつた日から三カ月を経過した後になされたものであることは、弁論の全趣旨に徴し明らかである。
してみれば、本訴は、行政事件訴訟特例法第二条に定める要件をみたしているものというべきであるから、被告の本案前の抗弁は理由がない。
二、そこで本案について判断する。
(一)、原告が昭和二五年二月一日国から自創法第四一条の規定により本件土地の売り渡しを受けたこと、被告が昭和三二年一一月二八日原告に対し農地法第七二条の規定により本件土地を買収する旨の買収令書を交付して、その買収処分をしたこと、以上の各事実については当事者間に争いがない。
(二)、よつて、以下右買収処分が違法であるかどうかについて、検討する。
1 本件買収処分が開墾の完了している土地を買収したものとして、違法であるとする点について。
被告は、昭和三〇年二月一一日本件土地の開墾および利用状況を検査したが、右検査の結果、当時本件土地の開墾が完了していないことが判明したので、被告は原告に対し本件土地の開墾を昭和三一年三月三一日までに完了するよう指示したこと、原告は本件土地の開墾完了前である昭和三〇年一二月、病気療養を理由に本件土地を離れて神戸市に転出したこと、以上の各事実については当事者間に争いがない。つぎに成立に争いのない乙第三号証の一、二、第四号証の三、証人郡山薫の証言(第一、二回)、原告本人尋問および検証の各結果を綜合すると、原告は神戸市に転出後、被告が原告から本件土地を買収した直後まで同地に居住して本件土地の開墾に従事していなかつたこと、その間訴外郡山薫は被告が昭和三二年六月四日第二回目の本件土地の開墾および利用状況の検査をした当時、本件土地のうち、岩石の露頭が密集していて開墾を完了することが著るしく困難であると認められる二畝の面積を有する部分を除く本件土地の未開墾部分の開墾を完了したこと、以上の各事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。
そうすると、右訴外郡山薫の行つた本件土地の開墾が、原告の行つた開墾として認めることのできる特段の事情があれば格別、そうでないかぎり、原告は、本件土地の開墾を完了しなかつたものといわざるをえない。
この点に関し、原告および訴外郡山薫は、被告に対し、原告の不在中、同訴外人が本件土地の開墾につき原告の代行者であると主張したが、被告においてこれを認めなかつたことは、前顕乙第三号証の二、同第四号証の三、証人郡山薫の証言(第一、二回)、原告本人尋問の結果を総合して認められるけれども、被告が右本件土地の開墾につき訴外郡山薫を原告の代行者として認めなかつたことをもつて違法とすべき理由はない。すなわち、本件においては、前記認定のとおり、被告が昭和三〇年二月一一日行つた本件土地の検査の結果、本件土地の開墾が完了していたことが判明したのにもかかわらず、本件土地を直ちに原告から買収することは見合せ、原告が本件土地の未開墾部分の開墾を完了して、右買収を免かれることができるよう措置したことは、後記判示のとおり、農地法第七二条の規定により被告に認められている裁量権の範囲に属するものと考えられる。したがつて、右買収猶予期間内の開墾につき、原告の代行者による開墾を認めるかどうかも、もとより被告の裁量権によつて決せられる事項というべきであつて、右裁量権の行使が農地法の精神に違背し、その他裁量の範囲を逸脱した事情が認められない本件においては、訴外郡山薫を原告の代行者として認めなかつた被告の措置をもつて違法ということはできない。かえつて後記認定のとおり、原告とは知り合いにすぎない同訴外人を本件土地の開墾につき原告の代行者として認めることは、自作農を維持し、発展させることを目的とし、耕作者とその同一世帯員による自作農経営の保護育成を図つている農地法の精神と相容れないものと考えられる。
結局、原告は、被告が昭和三〇年二月一一日行つた本件土地の検査の当時においてはもちろん、本件土地の買収の当時に至るまで、本件土地の開墾を完了しなかつたものと認めざるをえない。
そして、前記被告が昭和三〇年二月一一日本件土地につき実施した検査が、農地法施行法第一二条、農地法第七一条の各規定に基く、いわゆる成功検査として行なわれたものであることは、弁論の全趣旨から認めることができる。
そうすると原告は、農地法第七二条第一項第一号に該当するものというべきである。
ところで、農地法第七二条の規定に基き、同条第一項各号の一に該当する者について、その土地を買収するかどうかの点は、行政庁の自由な裁量に属するものと解すべきであるから、原告が同法第七二条第一項第一号に該当するものとして被告が原告から本件土地を買収したことは、被告の右裁量が社会観念上著るしく妥当を欠き、その限界を逸脱したものであると認められる場合に限り、違法と解すべきである。
そこで、被告の本件土地買収処分が違法と目されるかどうかを以下右の観点から判断する。
成立に争いのない甲第二一号証、同乙第一号証、原告本人尋問および検証の各結果を総合すると、本件土地は交通の不便な標高約三〇〇メートルの丘陵地の鞍部に、一町七反を超える総面積をもつて展開していて、右土地のうち宅地として使用される五畝を除く部分が開墾して農地とすべき土地とされたところ、原告が本件土地の売り渡しを受けた当時は、小灌木が生い茂つている山林であつたこと、他面、農業に精進する見込みある者として、このような本件土地の売り渡しを受けた原告は、当時すでに六〇才の老体で、農耕の深い経験はなく、しかも単身右土地の開墾に従事しようとする者であつたこと、以上の各事実が認められる。この事実によると、原告に対し本件土地の売り渡しの時期から五年内にその開墾の完了を期待し難いことは、極めて容易に判定できるところである。しかるに、本件土地につきなされた前記成功検査は、前判示のとおり農地法施行法第一二条、農地法第七一条の規定に基いてなされたものであるが、これによると成功検査は、未墾地の売り渡しの時期から起算して五年を経過した後、遅滞なく、されねばならないこととされている。すなわち、右成功検査の時期は、売り渡された未墾地の状況、その売り渡しを受けた者の事情その他未墾地の開墾完了に影響を及ぼすべき事項の具体的な事情を顧慮することなく、一律に前記のとおり定められているのである。したがつて、前記成功検査の結果により、直ちに、原告から本件土地をその開墾未了を事由に買収することは、原告に対し極めて困難な開墾を強いる結果となるものとして、かなり妥当性を欠くものとなることが予想される。とくに、本件土地が、右成功検査の当時、右土地のうち開墾して農地とすべき山林一町六反七畝一一歩中一町四反七畝一一歩につき、一部は開墾を完了して畑に仕上げられ、一部は原野の状況にまで開墾されていたことは、成立に争いのない乙第一号証によつて認められるから、右開墾の成果が、すべて原告の精進によつて達成されたものであると仮定するかぎり、前記のとおり僅かの未開墾部分の存することを理由に、本件土地の全部を買収することは、社会観念上著るしく妥当性を欠くものと認められ、農地法第七二条により被告に与えられた裁量権の範囲を超えるものとして、違法となるものと考えられる。しかしながら、証人西田格、同白倉一行、同松尾昇、同林田恵喜、同小渕留雄、同大郷信雄、同菅有馬の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、昭和二一年春頃から本件土地に単身入植して、その開墾を始めたが、その後次第に他の仕事に就くため他地に出かけることが多くなり、本件土地の開墾を、近郷の農民などに依頼して行い、その代償は開墾後の土地の耕作および収穫を許すことによつてまかない、このようにして開墾された土地は前記成功検査の当時、少くとも一町歩に達するものであつたことが認められる。
そうすると、右成功検査の当時開墾されていた本件土地部分の半ば以上は、実質上原告が開墾したものでなく、また原告が開墾した部分も原告の精進によつて達成されたものとも認められないから、かりに被告が前記成功検査の結果により、直ちに、原告から本件土地をその開墾未了を事由として買収したとしても、そのことの故をもつて、右買収処分が社会観念上著るしく妥当性を欠くものとして、これを違法ということはできないであろう。まして、被告は、前記認定のとおり、右成功検査の結果により、直ちに原告から本件土地を買収することを見合わせ、原告に本件土地の未開墾部分を昭和三一年三月三一日までに開墾するよう指示したのにもかかわらず原告はついに本件土地の開墾を完了しなかつたものであるから、原告が農地法第七二条第一項第一号に該当するものとして、本件土地を買収した被告の行政処分は、この点においてもとより適法というべきである。
2 本件買収処分が、不公平な裁量処分として、違法であるとする点について。
(イ) 訴外中戸悦雄、同白倉勝則が、本件土地の所在地である南有馬町吉川名の上原地区に、原告の本件土地とほぼ同規模の未墾地の売り渡しを受けて、その開墾に従事してきたが、原告と同様、成功検査にも、昭和三二年六月四日に実施された再検査にも、開墾未了の事由で不合格となつたことについては当事者間に争いがない。また、いずれも成立に争いのない乙第二号証の二、第三、四号証の各一、二、甲第二四号証、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第二三号証、証人小渕留雄の証言を総合すると、右再検査の当時、同訴外人らは神戸市に出稼ぎに出ていたため、再検査の結果には、同訴外人らは開拓地には不在で、不在の理由は不明と認定された事実、他方原告は病気療養のため神戸市に転出していたため、右再検査の結果には「原告は昭和三〇年一二月病気治療のためと称して神戸市に転住しているが現地には家族なく、郡山薫が留守番と称して本件土地を管理している。現地の開拓協同組合は、右郡山の留守番につき何ら了解していない。」と認定された事実、被告は右再検査の結果に基き、昭和三二年七月二日長崎県農地農林部長名をもつて、南有馬町農業委員会会長あて、同訴外人らから開墾完了の誓約書を、原告からその病歴、症状、所見を明らかにする医師の診断書を、それぞれ徴収して、これを被告に提出するよう依頼し、同年七月一五日付で同農業委員会会長から同訴外人らの誓約書および原告の診断書(昭和三二年八月一八日作成日付)の送付を受け、検討のうえ、同訴外人らに対しては、前記開拓地の買収をさらに猶予し、原告に対しては、本件買収処分をとつた事実、以上の各事実が認められる。
(ロ) さらに、右(イ)事実の認定に供した各証拠を総合すると、訴外中戸悦雄が前記認定の出稼ぎに出ている間、その開拓地における農業経営は同訴外人の妻が、訴外白倉勝則においては、同訴外人の妻および五人の子供が、それぞれ開墾完了部分の一部を耕作することによつて継続していた事実、同訴外人らはその家族と生計を一にするものであつて、右出稼ぎに出ても、長くとも四、五月目にはその家族の許に戻つていた事実、同訴外人らはその開拓地の開墾および農耕に従事するのに十分な健康体を有している事実、以上の各事実が認められるのに反し、原告においては、いずれも成立に争いのない甲第二号証、乙第四号証の二(開拓地の再検査結果について、と題する書面)に添付の診断書、乙第一〇号証、証人郡山薫の証言(第一、二回)、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和三〇年一二月二八日本件土地から転出後、満二年間神戸市に居住して本件土地に戻ることなく、その間昭和三一年五月二六日から昭和三二年六月三〇日までは同市の神戸運送株式会社に嘱託として勤務し、本件土地の開墾および耕作については、原告が本件土地から転出する前、原告の開墾作業を手伝つたことを契機に知り合つた訴外郡山薫を自己の代行者として、これに一任していた事実、原告は昭和三〇年一〇月頃から痔を病み、本件土地の開墾が困難となつたため、その治療の必要上、神戸市に転出したのであるけれども、早くとも昭和三二年三月一八日現在において、痔瘻兼左上膊神経痛のため、当分の間、安静を要し、労役に服することができない状態にあつた事実、以上の各事実が認められる。
ところで、右(イ)において認定した被告の原告および訴外中戸悦雄、同白倉勝則に対する各行政措置は、右(ロ)において認定した原告および同訴外人らの事情に応じてとられたものと認められ、原告に対してとられた本件買収処分が同訴外人らに対してとられた行政措置との関係において、不公平なものということはできない。
すなわち、農地法は、農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認め、自作農を維持、発展させることを目的としているが、わが国の農業経営の大部分が世帯単位の家族労働に依存している実情から、農地の所有者の世帯員が右の農地を耕作しているときは、これを自作農とみなし、同一世帯員による自作農経営を強く保護する建前をとつている。この建前は、将来農地となるべき未墾地の開墾に従事している入植者の世帯員が、右未墾地の開墾および開墾後の耕作に従事しているばあいにも顧慮さるべきであつて、本件におけるように、未墾地の開墾およびその後の耕作に従事する者が、右未墾地の所有者とは単なる知り合いにすぎないという原告における事情と、右開墾、耕作する者が、未墾地の所有者とは生計を一にする親族であつて、所有者が帰住すれば、直ちにいわゆる同一世帯員と認められる者であるという同訴外人らにおける事情との差異は、被告が右未墾地を開墾未了の事由により買収するかどうかを裁量決定する際に無視できないものと考えられる。さらに、被告が本件買収処分をなした当時、原告が前記認定のとおり、老体のうえに疾病を加え、将来自作農として農業に精進できる見込み極めて薄い事情にあつたことも、これと対照的な事情にあつた同訴外人らとの間で被告が本件買収処分をなす際、原告を区別して考慮する正当な事由と認められる。
結局、この点においても、被告の本件買収処分は、何等不公平な点はなく適法というべきである。
三、してみれば、被告の右買収処分を違法として、その取り消しを求める原告の本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高次三吉 粕谷俊治 井上清)
(別紙目録省略)